子どもの不登校の始まり、そして心穏やかになるまで

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はい、ひかるです。

私の子どもは小学生6年生の後半から徐々に不登校になり、早いもので3年が過ぎようとしています。

今の学校では不登校は珍しくなく、クラスに数人はいるんじゃないでしょうか。

珍しくないとはいえ、保護者の戸惑い、心配は人それぞれ。

私の場合の記録をしたいと思います。

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Photo by Hassan Vakil on Unsplash

わが子の不登校はこうして始まった

体調不良

小学校6年生の秋頃から、少しずつ体調が悪くなり学校を休みがちになりました。

始めは腹痛が多かったのですが、もともとお腹が強い方ではなかったので気にしてはいませんでした。

ですが、学校を休むのが2週間に1回、そして1週間に1回に、そのうち3日に1回とだんだんと間隔が短くなり、そしてほぼ学校に行かれなくなっていきました。

理由は腹痛、下痢、吐き気、頭痛、じんましんなど様々でした。

今まで健康だったので、おかしいなとは思ったのですが、目に見えない症状ばかりだったので「学校が嫌なのかな」と思っていました。

しかし、じんましんが出たときに初めて「本当に体のどこかが悪いのかな?」と心配になってきました。

受診させようにも体調が悪すぎてそれどころではなく、ただ布団にくるまって寝ていることが多かったです。

先生が家庭訪問に来るようになった

その頃になると学校でも、まずいと思うようで欠席すると担任の先生から「本人に会いたい」と電話が来るようになりました。

子どもに「先生が家に来る」と伝えても、嫌がる様子はなく居間に出てくるので、先生が嫌いな訳ではなさそう。

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Photo by Icons8 Team on Unsplash

先生は「みんなが待ってる」とか「とりあえず学校来てみよう」とか普通のことを言って帰っていきました。

私は、先生が家庭訪問に来たくらいで、学校に行くようになるとは思っていなかったし、家庭の虐待を疑われているのかなと少し心配だったので来てもらって良かったです。

不登校を更に面倒にしていたのは小学校の欠席連絡

この辺りの小学校は集団登校なので、連絡をしておかないと、子供たちが出発しないでずっと集合場所で待っている場合があるため、集合時間に同じ班の人に連絡しないといけません。

その他に、子どもの小学校では欠席理由を書いた連絡帳を生徒経由で先生に渡さなければいけませんでした。

しかも学年が違うと教室の建物も違うので、同じ学年の子に渡さないいけませんでした。

しかし、うちの場合は同じ班に同じ学年の子がいなかったので、別の登校班の集合場所に行って同じ学年の子に渡していました。

朝の忙しい時にこの2つの連絡が、毎日本当に面倒臭かったです。

感謝の会、そして小学校卒業

そのうちに卒業が近くなり、卒業式の前に6年生が保護者に向けて「感謝の会」なるものを行うことになっていました。

もちろん、子どもはこの練習にもほぼ出られませんでした。

「感謝の会」は子供たちが小学校に入ってから、私たちこんなに成長しました!と発表するもので、それぞれ自分の得意な技(サッカーとか縦笛の演奏など)を披露しました。

我が子は会にはなんとか出席できましたが、練習なしのぶっつけ本番なので先生に配慮していただき、練習しなくてもいいパートに入れてもらい、どうにか格好はつきました。

卒業式も出席できるのか気を揉みましたが、なんとか出席できました。

式の後、友達と話している様子などを見ていると楽しそうに会話しているので、いじめが不登校の原因とは考えにくかったです。

親としては、小学校の欠席の連絡がかなり面倒くさかったので、不登校は解決していないものの卒業した時はほっとしました。

中学校入学

そして4月、心配しましたが入学式には出席できました。

empty chairs in theater
Photo by Nathan Dumlao on Unsplash

しかし、その後数日登校しただけで腹痛や頭痛が続き、ゴールデンウィーク以降は完全に登校出来なくなくなりました。

入学式の写真は子どもが嫌がって撮らせてくれなかったので、学校の広報誌に集合写真が載っていたのと、友達のお母さんがとってくれた数枚の写真だけが、入学式に出席した証です。

欠席の電話連絡は毎日

4月からゴールデンウィークまでに数回登校しましたが、やっぱり途中で嘔吐して早退してきたりで通える日が少なく、ゴールデンウィーク以降は一度も行っていません。

black and gray ip desk phone
Photo by Devin Pickell on Unsplash

中学校の欠席連絡は学校に保護者が電話すればよかったので、小学校にくらべればだいぶ楽にはなりました。

始めは毎日学校に欠席の電話連絡をしていたのですが、時間が決められていて、時間を見計らうのが面倒くさいし、また今日も行かれないと思ってしまうので嫌になり次第に電話をしなくなりました。

夏休みくらいまでは先生から「電話連絡をください」と言われ、「行く時だけ連絡するのじゃだめですか?」と聞いたのですが、「欠席する時は毎日連絡をください」と繰り返されました。

結局電話しませんでしたが…

先生たちは自分たちの管理上連絡が必要なだけで、当事者の都合というか切ない気持ちなんて考えていないんだなと思いました。

そのころは学校も出席させたくて、「相談室登校でもいい」とか「給食食べに来るだけでもいい」とか「門にタッチして帰ると言う子もいる」など色々提案してくれましたが、どれも現実的ではない案でした。

そのうち一学期が終了し、修了式の後に成績表を学校に取りにきて欲しいと言われ、仕事を休んで取りに行き、お便りなどの配布物、夏休みの宿題の資料なども受け取り、給食費の返金の手続きなどもして結構な荷物になりました。

その時はまだ成績表の出席欄に数字がいくつか入っていたので、「何日かは行かれたんだな」とそんな数字さえいとおしく眺めたものです。

そのあとは、出席日数は予想通りオール0(ゼロ)になりました。

夏休みになったら表情が明るくなった

私は6月くらいまでは「どうしたら学校に行かれるのか」と考えていました。

two coconut trees and beige hammock
Photo by Mohamed Ajufaan on Unsplash

しかし、学校の話題に触れない限りは子供の体調が悪くならないことがわかったので、だんだんに学校に行ったほうがいいとは思わなくなりました。

そうこうしているうちに、夏休みになりました。

すると学校に行けとは絶対に言われないと思ったのか、子どもは体調も改善、表情も明るくなり、こもりがちだった自室からも出てくるようになりました。

この頃には私も、元気で顔も見せてくれるなら絶対学校に行けと言うもんかと自分に誓っていました。

だって、部屋から出てきてくれない日の親としての心配や切なさは、本当に例えようもなくつらかったですから。

夏休みの前後は配布物を渡すとか給食の返金手続きとかで、母は学校に呼ばれることが多かったのですが、先生に会うたびに「やっと家の中で普通に振る舞えるようになったので、私は学校に行けと本人には言いませんし、家庭訪問などで先生が本人に会った時でも絶対言ってもらっては困ります」と言い続けました。

お陰でだんだん学校も理解してくれ、学校に来て欲しいとはいわなくなり、家庭訪問があっても本人も親も心の平静を保てるようになりました。

まとめ

ここまで来るまでが長く辛かったですね。

まず、体調不良の原因がわからなかったし、病気なのか、いじめでもあったのか、先生が嫌なのか、勉強が嫌なのか?そして、部屋に閉じこもってしまったので、親が嫌いなのか?

顔も見られず、部屋から物音もしないと「まさか死んでる?」と思ってしまったり、何かにつけて泣きそうになっていました。

しかし、ほぼ毎晩私に会いに部屋から出て来るので、私の事は嫌いではないんだという思いが唯一の支えでした。

その頃私にできることは、子どもが顔を出した時は笑顔で迎え、「毎日顔を見せて欲しい」と伝え続けること。

笑顔で接することで、学校行かなくても存在を否定されない、そのままでいいんだよ。ということを実感してもらう事しかありませんでした。

そして、そのことを理解できた子供は自信を持って、自分がやりたいことを探して実行できるまでになりました。

今、不登校の子どもは多く、悩んでいる保護者の方も多いと思います。

我が家の経験が、今まさに不登校になりたての方の参考になれば幸いです。

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