不登校、部屋に閉じこもりを解消した方法

man wearing red cap crossing street 不登校
Photo by Tyler Nix on Unsplash

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はい、ひかるです。

わが子は小学校6年生秋~中学3年の秋まで不登校でした。

はじめは部屋に閉じこもってしまい、親にもなかなか顔を見せませんでしたが、次第に顔だすようになりました。

そして3年経過した中学3年の秋、登校を再開できました。

部屋から徐々に出てきた経過を記録しました。

やりたいことを制限しなかったら部屋から出てくるようになった

不登校のはじまり、子が閉じこもって出てこない

不登校が始まったころ、学校に行かれなかった原因は体調不良でした。

しかし、そもそもの体調不良になった原因は今でもわかりません。

驚いたことに本人も覚えておらず、登校を再開した今になり「なんで学校いかなくなったんだっけ?」と母に聞くのです。

それはお母さんが聞きたい…

それはそうとして、その頃は週末は元気なのに月曜日になると頭痛、腹痛、下痢、嘔吐などいろんな症状が出てきて欠席していました。

そして、母と父が揃って学校に行かせようと躍起になっていたため、子は部屋にカギをかけたまま、出てこなくなってしまいました。

opened book
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学校に行くように声をかけるのをやめ、辛抱強く待つ

平日は両親が共働きだったので、学校を休んだ日は日中居間に出てきて、食べたりテレビを見ていた形跡がありました。

その頃は私も夫もなんとか学校に行かせようとして、「多少調子が悪くても行けばなんとかなる」とか「そんなにしょっちゅう休めないんだよ」とか言っていましたが、もちろんどんな声掛けも通じませんでした。

そして何週間か過ぎたころ、あきらめもありましたが何より母が疲れてしまい、ほおっておくようになりました。

まあ、誰もいなければ食べてるし、夜はオンラインゲームをして誰かと話しているのが聞こえるのでいいかあ。と自分を納得させ、自分のメンタルを守るために、子を学校に行かせようと頑張るのをやめました。

people holding umbrella
Photo by Alvin Leopold on Unsplash

母の部屋に来るようになった

自分を守るために声をかけるのをやめたのですが、不思議と数日すると子がだんだんと夜、私の部屋に顔を出すようになりました。

おそらく学校に行くように言われないので、安心したのだと思います。

母は、「顔を見に来るんだから母が体調不良の原因じゃないんだな。」と思え、また、ニコニコしながら部屋に来てくれるので、ホッとしてそれだけで涙がでるほど嬉しかったです。

(考えすぎと思われるでしょうが、子の部屋から物音がしないと、死んでるんじゃないかと不安で仕方ありませんでした。)

そして、こちらが学校に行かせようとして攻めの姿勢でいると、子も態度を硬化させるんだなというのがわかったので、ゆるい対応をしようとおもいました。

子が来たら拒まず、子が引いていったら深追いせず待ちの姿勢で行こう!

それからは子との距離のとり方が少し分かり、楽になりました。

また、子が来てくれた時は、「不登校でも君のことが大好き。」というメッセージを送るつもりで笑顔で迎えることにしていました。

実際、かわいくて仕方ないので自然に笑顔になるのですが、「そのままでいいんだよ。」と子に伝わればいいなあと思っていました。

それから、言葉でも「顔を見せてくれないと心配だから、毎日少しでもいいから顔を見せてほしい」と言い続けました。

一方、父は自分が思うようにコントロールできない子にイライラして、怒鳴ることもありましたし、機嫌がいいときと悪いときの差が激しく、安心できないので子は父が部屋から出てくるとそそくさと自室へ戻ってしまっていました。

そして母には顔を見せてくれて毎日話はするけど、父からは逃げてしまう現実を目の当たりにして、父は少し考えたようです。

父が「不登校でもいい。」というような事を本人に告げて、学校に行くように言わなくなってから父が居間に来ても、慌てて部屋に帰ることが減りました。

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Photo by Pawel Kadysz on Unsplash

自分探しを始める

オンラインゲーム

子と母の部屋がふすまを隔てて隣同士なので、子が毎晩パソコンでオンラインゲームをして、その中の仲間と明け方まで遊んでいるのが聞こえていました。

母が眠れないほどうるさいときは「もう少し静かにしてくれ」と伝えましましたが、基本的にやりたいようにやらせました。

なぜなら、ゲーム以外では笑い声をきけることがあまりなかったし、今のご時世はゲームで生計を立てることも可能なので、なんでもやりたいだけやればいいと思いました。

ただ、どんな人とどんな会話をしながらゲームをしているかが不安だったので、さりげなく探りを入れたりはしていました。

そして、数か月ゲーム三昧でしたが、そのうち飽きたようでやらなくなり、夜は寝るようになりました。

そのころから段々と部屋から出てくる時間が多くなってきました。

親が学校に行けと言わなり、本人がしたいことを否定しないでいたところ、3か月くらい過ぎたころから部屋から出てきて居間で過ごす時間が増えました。

料理

料理は実験の延長のようなものなので、時々ぎょっとするような物を作っていましたが、だんだん上手になり、今では家族にスープや炒め物などを作ってくれます。

最近ではレパートリーが増え、家族からリクエストされることがあり、本人も自信がでてきたようです。

魚をさばくのも随分やりました。

母はさばいたことは一度もなく、子はyoutubuで情報収集していました。

スーパーでは魚が切り身で売っていることが多いので、わざわざ魚市場まで行って、1m以上ある鰆(さわら)を買ってさばいたときは食べきるのが大変でした。

本人は刺身にしか興味がなく、母は残った身を煮つけ、から揚げ、みそ汁など調理して週末の2日間鰆祭りでした。(この時、鰆ってなんておいしいんだろうと思いました)

刃物

man holding black and gray katana
Photo by Krys Amon on Unsplash

刃物と書くと少し怖い感じがしますが子には、刃物が芸術品に見えているようです。

日本刀が好きで、博物館に一緒に展示を見に行ったり、youtubuで作り方を見たり、日本刀で「えいっ」と藁の束をひたすら切っているようなのをよく見ています。

博物館にたくさんある日本刀を全部見た後で「この日本刀が一番きれいだと思う」と言われたときは、困りました。

私にはどれもこれも同じに見えますので…

包丁は料理で使うこともあり、とても大事に扱います。

こだわりがあって、かっぱ橋まで一緒に買いにいったり、新潟にスキーに行ったときに燕三条のものを購入したこともあり、計10本くらいは持っています。

燕三条では30分以上かけて包丁選びをして、しまいには“エア魚さばき”が始まってしまい、ちょっと笑ってしまいました。

たくさん持っているのに母には包丁を貸してくれないので、母は結婚式の引き出物でもらったたった1本の包丁を20年以上使っています…

包丁の切れを保つための砥石にもこだわって、目が粗いものと細かいものを持っており、母の包丁もたまに研いでくれます。

母は切れが気になったときは陶器の皿の裏側で研いでいますが、そんな場面を子が見ると鼻で笑われます。(だったらマメに研いでくれ!)

パソコン

オンラインゲームがしたくて、子が自分の小遣いとコロナの給付金も使ってポンと買いました。

パソコンで絵を描く、ペンタブを一緒に買って、一日中絵をかいていたこともありますが、部屋で使っているので、今はどれくらい使っているかはわかりません。

open book on top of several stacked books
Photo by Studio Media on Unsplash

読みたいという本、欲しいという学習書もほとんど買いました。

中学生には読めないんじゃないかなと思うような量子力学の本なども、親が限界を決めてはいけないと思って与えました。

おかげで最近、子からの質問が難しすぎて、母は質問の意味さえ理解できないほどです。

その他

高額な買い物などは「もう少し考えて、それでも欲しければ誕生日プレゼントとクリスマスを合わせて買ってあげる。」などと言って買ったりもしました。

高いといっても部活や塾も行っていないので、多少高くてもいいかなと。

どれがヒットするかわからないし、学校も行かずこれから一人で人生を頑張っていかなければいけないと思うとやる気のあるうちに行動してもらいたかったのです。

ついに、登校再開!

そんなこんなで約3年間子の成長を見守ってきました。

このまま中学を卒業するんだろうな。と思っていましたが、三年生の秋、突然「学校行こうかな」と言い出し、一か月後には本当に登校再開しました。

母は登校を促すことは一切していません。

むしろ、学校で嫌な目に合うのではないかと心配で胸が張り裂けそうでした。

担任の先生に、登校再開の意思があることを連絡するときにも、電話口で泣いてしまい、「中学校って無駄に厳しいじゃないですかあ。だから心配で…」と本音を言ってしまい、先生が苦笑いしていました。

そして、二週間に一回くらいは体調不良で休むものの、今では不登校なんてなかったかのように自然に学校に行っています。

まとめ

部屋に閉じこもっていた子が、比較的簡単に出てきた理由として考えられること。

1.学校に行けと言われなくなったことで、安心して家にいられるようになった。

2.欲しいものややりたいことを支持してもらえることで、自分を否定されないことを実感した。

3.親が出来ないことや知らないことも分かるようになったことで、自信がついた。

これらのことで段々と部屋の外にいられることが増えてきました。

我が家の場合は、あまり基本的な生活の乱れがなく、おはようやいただきますなどの挨拶がきちんとできていたり、人を傷つけるような言動がなかったので、やりたいことをやらせることができました。

はじめはなんとかして学校に行ってほしくて、学校に行くように声をかけたり、母が学校のカウンセリングにかかったり、不登校の病院に連れて行こうとしたりしました。

しかし、母がつらくなり全部やめたことが逆に良かったようです。

我が子はこのあと3年近く不登校が続けた後、突然登校を再開しました。

その時の様子は3年間の不登校から登校を再開した子 でも書いています。 気になる方は読んでみてくださいませ。

どなたかの参考になれば幸いです。

ではでは…

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