私の子は、小6の秋から体調不良のためだんだんと欠席が多くなり、3年近く不登校でしたが、中3の秋なぜか突然登校を再開しました。
理由は本人にしかわかりませんが、登校を再開したときの様子を記録したいと思います。
3年間の不登校から登校を再開した子
登校再開の予兆
「学校行こうかな」不登校歴2年半ごろ、急に子供が言いました。
中学校2年生の最後のあたりです。
なぜ急に?と聞いてみましたが、「なんとなく」だそうで、何か特別なことがあったわけではありません。
私の子供は、こんな時に母が大きくリアクションするのをとても嫌うので、「あーそう」くらいしか反応しませんでした。
本気だったら、自分からいろいろ言ってくるはずなので、とりあえずそうなるまで放っておきました。
それから半年くらいは何も言ってこなかったので、私からもアクションは起こしませんでした。
この辺は心理戦の範疇というか、駆け引きですね。
殻からちょっと目を出したカタツムリを引っ張り出そうとすると、また引っ込んでしまうような感じなので、がっちり頭を出すまで待つみたいな…
すると3年生の2学期に入ったくらいに再び「学校行こうかな」と言いました。
担任の先生が2、3年と同じ先生で、受け持った時から3年生のその時点でも、ずっと長期休み以外は毎週1回家庭訪問を続けてくれていましたので、「自分で先生に伝えてみれば?」と子供にいうだけ言って私からは何も先生に伝えませんでした。
期待していなかったのですが、驚いたことに自分できちんと先生に伝えたというのです。
それを聞いて、ようやく私も子供が本気だとわかりました。「来週先生が来るときにクラスの名簿とかを持ってきてくれるって」と言っていました。
登校の準備(子編)
子供は先生が持ってきてくれた名簿をはじめは見なかったのですが、自分で「この日から行く!」と決めた日が近づくにつれ、じっくり見て何日か考えこんでいました。
そして、先生に「この子とこの子(友達の名前)に自分が登校することを知らせて、声をかけてもらいたいと伝えてほしい」と話しました。
本人曰く、「声をかけてもらえないのが一番つらい」そうです。
そして自分で、近所に住んでいる友達と登校する約束をしました。(唯一不登校中もたまに遊びに来てくれていた子です)
髪型は家で好きにしていたので、まず茶髪を黒く染め戻して、それから散髪に行きましたが先生に「校則に書いてある通りに切っちゃうと、中学校入学したてみたいなので、そこはゆるく」と言っていただいたので、少し長めに切ってきました。
登校再開のXデーは「月曜からだと体力が持たないと思う」からと金曜日にし、翌週は祭日が2日もある日を自分で選びました。
登校の準備(母編)
母は、子供が中学に入学してすぐに不登校になってしまったので、学校生活に何が必要なのかすっかり忘れてしまいました。
そこで先生に新入生に配る「入学のしおり」みたいなものをもう一度いただけるようにお願いして、必要な物を揃えました。
制服は大きめを買っておいたので大丈夫だったのですが、そもそも今はコロナ対策で毎日洗える体育着での登校になっていました。
体育着と上履き、外履きは使わないうちにサイズアウトしてしまったので購入し、ノートは1年の時に買っておいたものは使わなくなってしまい、買いそろえました。
はし箱は入学する前に買ってあったものを使うことにしました。
そして名前が必要な物に名前を書いて、終了。
物はすぐにそろったのですが、気持ちの準備が大変でした。
母は登校してもらいたい気持ちより、登校することでまた体調を崩すんじゃないか、勉強についていけない事実に気づいてへこむんじゃないか、先生に何かで怒られたりして通えなくなるんじゃないかなどなど心配で仕方なかったです。
登校する前に担任の先生から電話があり、話しましたが心配で涙目になり鼻を拭きながら話したものです。
本人に「行かなくてもいいんじゃない?」と言いたいのを我慢して、Xデーを迎えました。
再登校初日
偶然にもその日は母が仕事の休みをとっていたので、登校を見守ることができました。
本人はもちろんですが、母の緊張もかなりなものでした。
本人は朝の5時にアラームをセットして(しかも兵隊さんを起こすようなラッパ音!)起床。
そんなに早く起きなくてもいいのに、緊張で無駄に早かったので、シャワーを浴びてご飯を食べてもまだ6:30。
「さすがに緊張してお腹痛い」と。
そりゃそうでしょう。
最後に登校したのは、1年生のゴールデンウイーク前。
そして今は3年生の10月だから、2年半振りの登校だからね。
時間になりカバンを持って、玄関を出ていくのを見守りましたが、不安の表情を出さないようにするのが大変でした。
しばらく先まで見えるので、じっと見ていたら、もう1人の子供に「まだ見てんの?」と呆れられました。
そう、学校行けている子には何でもない光景なんだけど、母には嬉しくもあり、心配でもあり…
母は、学校から連絡がいつ入ってもいいように、スマホの消音モードをオフにして音量も最大にして待機でした。
無事に夕方帰ってきた
昼くらいまでは何回もスマホの着信を確認して、自分が気が付かなかったのではないかと着信音の音量の確認なんかをしていたのですが、午後になるとさすがに(大丈夫なのかな)と思い始めました。
そして5時過ぎに「ただいま」と毎日していたかのように普通に帰ってきました。
また、ここで満面の笑みなんかで「学校どうだった?」なんて聞いては嫌な顔をされるのが目に見えていたので、スマホをいじりながら「お帰り。どうだった?」と聞いたら「給食がまずかった」と。
2年半ぶりに登校して、第一声が給食?と思っているとそこで電話が鳴り、出ると担任からでした。
「さっき帰りました。一人ぼっちということはなくて友達に囲まれてました。そっとしておいたほうがいいんじゃない?という子もいましたけど、そこそこワイワイやっていましたよ。」と報告をいただきました。
わざわざ電話で様子を知らせていただいて、本当にありがたかったです。
2年生からの担任の先生だったので、私も何回も学校に行ったり、家庭訪問をしていただき、度々話をし
ていたので話しやすく、感謝感謝です。
その日は、近所のいつも気にしてくれている同級生のお母さんと保育所からの友達のママから「よかったね」というLINEがあり、うれしかったです。
本人はというと、「給食がまずかった」言ってはいましたが、表情がハツラツとしていたので、それだけで十分でした。
その週末は「友達と勉強する」と言って予定を立てていました。
2年半ぶりの登校、どれだけ勇気が必要だっただろう。よく頑張ったな。と思います。
家族以外にほとんど会わず、部屋からあまり出ずに過ごしてきましたが、内面は少しずつ強くなっていたようで感心せずにはいられませんでしたが、大げさにほめると嫌がるのでしれっと見守っています。
まとめ
なぜ急に登校を再開したのかは、よくわかりません。
登校を再開するにあたり、「無理そうだったら学校に通うのをやめて良い」と伝えたり、不登校になり始めの時も、「絶対に学校に行かないといけない」と親が言わなかったため、学校に対する拒否感が少なかったのかなとは思います。
担任の先生が2年近く毎週家庭訪問してくれたのも大きかったです。
その間「学校においで」と言わずに本人の興味がある釣りや車の話などをしてくれたり、本人が高校に行きたいと話した時には、いろいろな種類の高校のチラシを持ってきていただいたりしました。
それに何回も顔をあわすことで親しみが持てたのだと思います。
はじめは先生が訪問してくれる時間を本人に伝えておいても寝ていたり、顔を出さなかったりと空振りになることも多かったのに、根気強く訪問してくださいました。
気づくと本人から「今日先生来なかったよ」と言ってきたり(そういう時は事後報告ではありますが、先生から今日は行かれなかったので、明日は行きます。などの連絡がありました。)、「今週はいつ来るんだっけ?」などと先生が来るのを楽しみにしている様子がうかがえました。
近所の仲が良い子が一緒に登校してくれたのもよかったです。
たまたま、一番仲良くしている子が通学路の途中に住んでいて、また、コロナのため、部活の朝練も中止されていたので、一緒に登校してくれたので、登校のハードルがだいぶ下がりました。
いろんな条件がそろい、登校を再開することができてラッキーでした。
今の時代、勉強する方法はいろいろありますが、同世代の友達と過ごす時間は本やインターネットでは代替になりません。
ただ、登校が続けられるのかどうか、これからも心配は続きますが一つ山を乗り越えた感じはあります。
私の経験がどなたかの参考になれば幸いです。
ではでは…
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