子供が学校に行きたがらない、行かなくなってしまったら親はどうしたらいいのでしょう?
私の子の場合は、小学校6年生の秋から体調不良で学校を欠席するこ徐々とが多くなり、中1の5月には完全不登校になりました。
はじめはどうしたらよいのかわからずに、もがき苦しみましたが子供のことは考えても仕方ない、なるようになると見守っていたら、子は中3の秋に登校を再開しました。
そんな我が家で子の不登校中に私がしてきたこと、しなかったことをお伝えします。
不登校の間、母親がしなかった事
子供を質問攻めにしない
不登校の始まりは頭痛、腹痛などの体調不良でした。
あまりに続くので、さすがにおかしいと思い「学校でいじめられているのか?」「学校に嫌な人がいるのか?」「学校に行きたくないのか?」など質問攻めにしました。
しかし、どの質問にもはっきりした返事はかえって来ず、むしろ部屋に閉じこもるようになってしまいました。
これはまずいと思い、質問攻めはやめました。
そして、体調や気分のよさそうな時に学校の様子をさりげなく尋ねると、一回に一問くらいなら返事をしてくれたので、少しずつ情報をためていきました。
朝、起こさない
欠席が多くなったころは、毎朝ドアをガンガン叩いて、なんとか起こして学校に行かせようとしていました。
はじめはただ単に眠くて起きられないなら声をかければいいと思っていて、毎朝大声で起こしているうちに子供は部屋にカギをかけてしまい、返事さえしなくなり逆効果だったと気づき、やめました。
ただ学校でいじめられてるのかな?と心配でした。
子供の体調カレンダーをつける
始めの2~3か月はかなり悩みました。
子供の体調が悪かったので、病気なのかと思っていたからです。
でもカレンダーにいつ、どう具合が悪いのかを記録していったら、主に週明けに調子が悪いのがわかりました。
そこでやっと「学校があると調子が悪くなるんだ」と納得できたら、家にいて元気になれるなら不登校でもいいや。と吹っ切れました。
明日は行けそうか尋ねない、明日は行けそうだねと声をかけない
始めのころ、週末、学校がない日は元気になる子に対して、「明日は学校行けそう?」とか「明日は行かれそうだね」など何回も言ってプレッシャーをかけてしまっていました。
しかし、そのたびに表情が悪くなるので、言われたくないんだなと感じました。
何回も表情が暗くなるのを見て、私は自分がもし体調が悪かったら、どう声をかけてもらいたいか考えてみました。
「明日のことなんかわからないよ」「学校のことは考えたくない」とかかな。と。
そして、せっかく気分よく過ごしているのに、水を差すようなことをしていたことに気づき、やめたのですが、その頃には子は警戒して部屋からほとんど出てこなくなってしまっていました。
子供の顔が見られても過剰に反応しない
子供が部屋から出てこなくなってしまい、顔を見られただけでも嬉しく感じるくらい姿が見られませんでした。
そうなると、たまに部屋を出て来て顔を見られると、どうしても嬉しくて過剰に反応してしまいそうですが、子供が嫌な顔をするのでぐっとこらえました。
そして、自分だったら普通にしていてもらわないと顔を出しにくいなと思ったので、それからは普通にしていることにしました。
淡々と「ご飯食べる?」とか「今起きたの?」と普通の会話だけで、学校の事は一切話しませんでした。
そのかわり子供の表情や振る舞いは神経を研ぎ澄まして観察しました。
不登校中、母がしたこと
笑顔で話しかける
この頃は部屋から物音がするだけで、「よかった。生きてる」っていうくらい会わなかったので、昼夜逆転していても、ゲームばっかりしていても全く不満はありませんでした。
たまに部屋から出てきたら、笑顔で話しかけることを意識していました。
この時期おそらく学校に行けないことを子供自身が一番気にしているのではないかと考え「学校に行かなくても、お母さんは君のことが大好き」ということが笑顔で伝わるといいなと思ったからです。
実際は顔を見られると本当にうれしかったので、意識しなくてもニコニコしていましたけど。
やりたいことを自由にやらせる
私の子は、自分がやりたくないことは絶対やりたくないタイプ。
ですから、親がアドバイスをしても言うことをきかないので、不登校が始まったころはしばらく自分のやりたいようにやらせてみました。
部屋から出てきたときも、憂鬱な表情をしているので、自分がしたいことをするなら笑顔になるかな?笑顔になってくれるなら、何でもいいと思っていまいした。
そのときは本気で、自死とか自傷行為を心配していたので、笑顔が見たくて仕方ありませんでした。
生きてさえいてくれれば御の字なので、いつ寝ようが、ゲームばかりしていようが好きにさせました。
夜になってオンラインで対戦ゲームをしながら、対戦相手と話したり、笑っているのを壁越しに聞くと、ホッとして「こんな便利なものがある時代でよかった」と時々涙ぐんでいました。
ただエキサイトしてきて、声がうるさいことがあったので「うるさいので静かにしてください。寝られません」とLINEをすると、静かにしてくれました。(大きい声を出すと覚めて眠れなくなってしまうので、LINEで注意しました)
何か月かはゲームばかりで昼夜逆転していましたが、気が付けばゲームもしなくなり夜も静かになっていました。
尋ねると、「ゲームは飽きた。向いてない」と言っていました。
この時代、なんならプロゲーマーになるという選択もあるので、徹底的にやればいいと思っていましたが、意外にあっさり見切りをつけたようでした。
先生に学校に来いと言わないようにお願いした
親が学校に行かせようとしなくなって、子供はだんだん体調を崩すことが減りました。
その頃、担任の先生は家に、時々子供の様子を見に来てくれるようになりました。
私は平日フルタイムで仕事をしているため、直接対応はできないので、子供が起きていて、出る気になれば、一人での対応となり、話の内容を把握することはできません。
私がいない時に、先生に「学校においで」と言われ、また体調を崩すことがとても怖かったです。
これだけは絶対に避けたかったので、それだけは本人に言わないで欲しいと何回もお願いして、だんだんと先生も理解してくれました。
以前、小学校の担任の先生が家庭訪問に来たとき、登校を促すようなことを先生が言ってしまったことがあります。
その時、子供が「はい」と返事しているのを聞いて、真に受けて私も喜んでいたのですが、結局行かれませんでした。
中学校に入ると、私が給食費の返金などの手続きで学校に行くたびに、先生から「短時間でもいいから登校をしてもらいたい」と言われました。
そのたびに私は「学校の事を口にすると体調が悪くなったり、部屋から出てこなくなるので私は絶対に学校に行けとは言いません。子供の顔が見られなかったときは、本当につらかったので、先生からも言わないようにお願いします」と言い続けました。
そうすることによって、先生方もわかってくれるようになり一年経った頃に、校長先生から「今落ち着いて生活できるようになっているので、私たちから学校に来て欲しいということは言いません」と言っていただけました。
そして、中2、3の時の担任の先生は週に一回の家庭訪問をしてくれました。
家庭訪問が始まったころは子供は「学校に来て」と言われることを警戒していたのか、ドアベルがなっても数回に一回しか出ませんでした。
その先生は本人に「学校に来て」と言わずに世間話をして帰って行きました。
すると、子供は徐々に対応に出るようになり、急用で先生が来ないと「今日、先生来なかったよ」と私にいうようになりました。
どこかに行きたいと言ったら、連れていく
学校に行かず、家にじっとしているので体力的にも精神的にもよくないと思っていましたが、本人が希望しないことはさせることはできません。
不登校が始まったころは、よくそんなに家にいられるなあと思うくらい一歩もでませんでした。
ですから、ごくたまに本人がどこかに行きたいと言ってきたときは、できるだけ連れて行くようにしました。
魚をさばくのが好きで、「丸のままの魚をさばきたい」と言えば、魚市場に連れて行って1メートル以上の鰆を6,000円くらいで買ったり、「博物館で刀が展示されているから見たい」と言えば、博物館に刀を見に行き、「河童橋で包丁が買いたい」と言えば河童橋まで一緒に行きました。
電車に乗ることや知らない場所でご飯を食べることを含め、社会見学と思い、母の私も一緒に楽しみました。
お互いにいい経験になったと思います。
学校がある日は外に連れ出さない
ある日、子供の髪があまりにも伸び「髪を切りたい」と言ったので「散髪に行こう。今日は平日だから混まないよ。」と軽い気持ちで言いました。
待つのが大嫌いな子はそれを聞いて、一緒に近くの床屋さんに行きました。
思った通りすぐに順番が来て、鏡の前に座りました。
しばらくして戻ってきて「もう絶対来ない。今日学校は?って2回も聞かれた」というのです。
ここで初めて、しくじったなと気づきました。
お店の人は不登校の子がいることなど考えもせず、ただの世間話のつもりで聞いたのでしょうが、子供の心を傷つけてしまいました。
それからは、学校が休みの週末や夏休みなどにしか出かけないようにしました。
子供の事ばかり考えない
子供の不登校の理由はわからなくても普段の態度から、母に原因がなく、体が悪いわけでもなく、学校にさえ行かなければ元気なのが分かったころから、不登校について考えるのをやめました。
家にいさえすれば、笑顔で生活できるように段々なっていたので、それだけで十分でした。
どうしたら学校に戻れるかと考えるとイライラとか鬱々としてくるので、私は自分のやりたいことをして、過ごしました。
おそらく、それにより子供は自分が監視されているとか、過剰に注目されていると感じることなく、子供も自由に過ごせていました。
子が不登校なことで悩んでいるそぶりを見せない
親が自分のことで悩んでいると思ったら、自分が悪いことをしている気になると思うので、そういうそぶりはしないようにしました。
実際、私はフルタイムで働いているので、忙しく子供の事を考えている余裕がありませんでした。
そのかわり子供が話しかけてきた時は、テレビを消して顔を見て話すようにしたり、時間は短くても真剣に聞きました。
子の人生を生きることはできないと割り切る
いくら可愛くても、親は子供の人生を生きてあげることはできません。
子供の代わりに学校に行くことも、受験してやることもできません。
親が良かれと道を示しても、やるかどうかは本人次第なので、子供が助けを求めてきたら助ける事だけしました。
まとめ
不登校はじめはどうしたら良いのか分からず、オロオロしました。
学校には呼び出され、少しでもいいから登校させてと言われ(登校できないから困ってるのに…)夫には精神病院に連れて行けと言われ(普通の病院だって連れて行かれないのに…)本当に辛かったです。
学校の相談室で相談した事もありますが、本人には合っていない対策しか提案されないのであてにするのをやめました。
考えてみれば当然のことです。
週に一日学校に来る相談員に会ったこともない子供の相談しても、それぞれの子にぴったりの対応なんてできるはずもありません。
私は自分の子のことを一番知っている自分が、子供にとっての一番良い対応ができると思っています。
子供の対応は反応を見ながら、すべて自分で手探りしました。
今思えば、はじめのうちやった事はほぼやらないほうがいいことでした。
やっていきながら子供の反応をみて「これはだめなんだな」と思って「じゃ、次行こう」と一つづつ試していきました。
上手くいかないことのほうが多かったので、上手くいかなくて当然と思って試していったほうがメンタル的に楽だと思います。
この記事に書いてきたのはあくまで私の解決方法です。
子供はそれぞれ違うので、みんなそれぞれやってみてください。
私の対処方法がどなたかの参考になれば嬉しいです。
ではでは…
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